✨奥さまは基地外✨

サマンサになりたい基地外。マイワールドにて傍若無人を堪能する日々(現実逃避)

13年前の変な感じが体の中を巡ってる

ずっと父親に部屋を覗かれていたことの恐怖が今やっと感じられるようになっている今日。
あれって虐待じゃないのか?まあそもそもが虐待まみれだけど。
暴力や折檻より、思春期に部屋を覗かれるという拷問のほうがきついのなぜなんだ?
なんかでも、思い出しちゃいけない気がする。
やっぱぶっ壊れそうで。

風呂も脱衣所がなくて、親が通るところで裸にならなきゃいけなくて、私の下着も父親の部屋にあって、
もう、裸を見られることを気にしない性格になるしかなかった。
だから、ごく当たり前の風景だった。
だからあまり風呂に入りたくなかった、のかもしれない。
そもそも部屋から出ること自体が怖いことだったから、
ただ、家出とか外で時間を潰すことはなかった。
母親が心配だったから家から離れられなかったのだろう。
学校に行けなくなったのも、母親が目の前で自傷をしたり自殺を図るようになってから。

私はまな板の包丁のトントンという音が苦手なのだが理由がある。
昔、木のまな板を使っていて母はおかしくなると包丁でまな板を切っていた。
その理解不能な行動にただ、正気の母を失う悲しさとなにをしでかすかわからない恐怖に硬直した。
姉とともに私たちは音に敏感だった。
姉妹の部屋にいて台所でまな板の音がすると、姉は「あれ、まな板じゃなくて自分で手切ってたらどうする?」と小2の私に言い、心がちぎり取られるような恐怖と心配にさいなまれた。
あれは冗談だったのか、そうでないのかわからないが。
姉もああいった日々を「地獄」と呼び、母と同様に記憶が解離しているようで断片的にしか思い出せないらしい。
私は「記憶」ではなく、記憶や感情を感じている「自分」を解離させてしまったようなので、母や姉とは違う症状が出ている。

さらに、こういった「地獄」時代の話は母にできない。
たまらなくてしたとしても、したことをいつも後悔している。
なぜなら母からすると「思い出したくない過去」であり、自分が娘を虐待したり心を傷つけたことも思い出すとショックなことだからである。
彼女は私を虐待したことをほとんど覚えていない。

私も、大人になるまで覚えていなかった。
つまり、記憶がなかった。
それが、個人的感覚としては「その記憶を受け止められる状態になったら勝手に記憶が出てきて初めて思い出す」
出来事のみは覚えているという人も多いだろう。
性的虐待をされた」という事実は自分で知っていても、その最中の感情や感覚は解離したままのことが多いと思う。
そしてそういう「切り離された記憶や感情、感覚を保持させられている自分」が成仏できない限り、問題行動は治らなかったりするのである。

かくいう私も「成仏って具体的に何するのか?」と聞かれたら答えられない。
ただ私の中には過去の自分の亡霊たちが彷徨っていて、成仏させたら一歩進める、的な感じで思ってる。

ちなみに私の場合、
「日常を生きるための人格」と
「トラウマを保持している人格」のおおまかなカテゴリ分けがあり、
普段交代するのは前者。

でももうあまり自己分析も程々にしようと思う。
この記事はたぶん、出てくるがままに書いただけなので責任は取らない。
私は基本的にもう自分の病気について深く考えないことにしている。
自覚しててもあまりいいことはないから普段は忘れるようにしてる。
ただ症状がでたときひとに説明するのに困るが。

おわり